私たちはこの世界をどう見ているのか?
例えば、ここにある一つの「りんご」。
食べ物と思えば、食べ物にしか見えない。
だけど。
- インテリアになるかもしれない
- ボール遊びができるかもしれない
- お風呂に入れると楽しいかもしれない
- 友だちになるかもしれない
- 誰かと分かち合うことができるかもしれない
- 平和のシンボルになるかもしれない
私たちが、ここにある「りんご」を、食べ物と思った瞬間、
そのりんごは「食べ物としてのりんご」として規定される。
世界は無限の可能性に満ち溢れている。
その世界をどう見るのかは自分次第。
世界を規定するのは、いつも自分。
わたしたちは、世界を「自分の意識」のフィルターを通してしか見れない。
もし、あるがままの世界を、あるがままに見ることができれば。
私たちには言葉や思考は不要になるのかもしれない。
世界をどう規定していくのか。
人の数だけ世界がある。
世界を見つけること。
それが生きる目的にもなる。
こちらを読んで哲学したことを記載いたしました。
素敵な文章に触れることができて。
わたしはとても幸せです。ありがとうございます。
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ヨシタケさんの「りんごかも知れない」を私風に説明するとしたら?これしか思い浮かばないなぁ。「無限の可能性」を教えてくれる本。りんごは飢えや乾きを癒やしてくれるだけだなく、ひょっとしたらボールや、友達になったり、アートになったり、細く切って乾かせば紐にもなるかも知れない。 https://t.co/zW6KS7bQql